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家族を容れるハコ・家族を超えるハコ



家族を容れるハコ・家族を超えるハコ
/上野千鶴子(平凡社・2002年)


集合住宅(団地)が成立した背景 1920年代

1)関東大震災により大量に住宅を供給する必要があった。
  同潤会は団地と呼ばずアパートと呼んだ。団地と呼ばれるのは1950年代以降
2)鉄筋コンクリート造は耐火建築物であり、安全であるという時代認識があった。

という社会的必然性が生み出した。

家族にはプライバシーが必要という考え方があったので、上下左右に関わりあいのない閉じた住宅が反復されることになった。それは都合良く効率的であった。ところが同潤会アパートなどの初期集合住宅には、共同施設や学校、商店、公園などの周辺地域に関係するさまざまな施設があった。それは周辺地域にそういったインフラがまだ整備されていなかったで、団地を建てることでその地域一体を含めて整備しようという狙いがあったからだ。また、同潤会アパートは1920年代のソビエトの集合住宅をモデルにしていたため、社会主義思想が描き出す、共同生活や等しく平等である社会が美しいということが反映された結果ではないかと考えられる。

個室を確立するというのが戦後の設計思想の中心にあった(戦前は個室がなかった)。それがnDKであり、nLDKという形式を生んだ。51Cが提唱した「食寝分離」は、寝室とダイニングキッチンに分け、住宅(家族という共同体)内にプライバシーを確保した。最低限のプライバシーを確保することが求められた。なぜプライバシーの高い空間がよいとされたのか?ブルジョワ的生活への憧れがそうさせたのだろうか?


プライバシー
周辺地域との関係が失われた状態、自己充足・自己負担・自己責任の状態、あるいは私領域、つまり公領域と対の概念として考えられる、いいかえれば公領域(社会)との関係において成立する概念である。

プライバシーにも濃度がある。買い物、医療、教育など人間の生活はひとりでは充足できない。つまり完全なプライバシーなどあり得ない。

プライバシーを確保できる単位として「家族」が用いられた。家族が住む場所=住宅は、プライバシーを確保できる場所として考えられた。近代家族は、プライバシーを全て抱え込んでしまった。家事、育児、介護などすべて家庭の主婦がその責任においてすることとなった。ところが女性の社会進出により老人介護などが負担になっている。
高いプライバシーを確保することはよいこととして扱われて、プライバシーの領域は世帯からカップル、個人の身体へと切り詰められてきたが、これは強者の理論で弱者に対してはプライバシー(自己責任)が負担になる。弱者(高齢者)は介護が必要で生活が自立できない、他者に依存しなければ生きていけない。つまりこれからは低いプライバシーが求められるのではないか。
by sgnsgn | 2012-02-21 00:00 | book | Trackback | Comments(0)
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